From the West to the East.〜maztoya's blog〜松任谷愛介日々彼是。

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    リチャード・トレヴィシックの短い物語 〜早すぎた天才発明家の生涯(上)〜 15:50
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      リチャード・トレヴィシックの短い物語
      早すぎた天才発明家の生涯(上)


      数年前、飯倉のバーで初老の紳士と隣り合わせた。恰幅良く彫りの深い顔立ちの紳士は、連れの後輩と思しき日本人紳士から「フランク」と呼ばれ、「アメリカンクラブで、かなりお飲みになったのですから少しは控え目に」と小言を言われながらも「ネクスト スカッチ!」と棚に並ぶシングルモルトを端からストレートで飲み干していた。小耳に挟んだ会話からこの紳士が僕と同様、ロンドンからの出張者であることが分り、親近感が増して世間話をするようになった。紳士は「僕の曾祖父が蒸気機関車を発明したのだよ」と語り、酒の席の戯言にしては妙に真実みのある話に、僕は聞き惚れた。

      それがフランク奥野氏と僕との出会いで、このご縁をきっかけにフランクのロンドンのご自宅にもお邪魔するような関係となった。


      トレヴィシックとスティーブンソン
      蒸気機関車を発明したのは誰なのか?

      小学校で学んだ教科書には、英国人ジェームズ・ワットが蒸気機関を開発し、その後の蒸気機関車の発明者は英国人ジョージ・スティーブンソンだと書いてあったと記憶している。少なくともトレヴィシックという名前は出て来なかったと思う。しかし現代の定説では、コーニッシュ、リチャード・トレヴィシック(1771〜1833)こそが蒸気機関車の実際の発明者である。

      この産業革命に先駆的な偉業を成した天才発明家は、生前にはほとんど脚光を浴びること無く、自らの葬式費用すら残すことが出来ずに、孤独に生涯の幕を閉じた。フランクとの出会いで、200年前の、僕にとってどうでもいい話がどうでもよく無くなった。

      トレヴィシックは1771年、英国南西部コーンウォールに、炭坑を営む父母のもとに生まれる。当時の英国は産業革命の波が押し寄せていた。ジェームズ・ワット(1736〜1819)は既に蒸気機関を開発していたが、大規模な設備を必要とするものであったため、この小型化が出来れば産業界に飛躍的な貢献をするであろうことは自明の理だった。

      18世紀の終わる頃、トレヴィシックはコーンウォールの鉱山会社の技師としてボイラーの開発に携わっていたが、ここで高圧蒸気機関を開発し、蒸気機関の小型高性能化に成功した。トレヴィシック弱冠25歳のことである。

      ワットとトレヴィシックの間には様々な逸話がある。蒸気機関の量産化で大成功を収めたワット商会は天才トレヴィシックの高圧蒸気機関に脅威を感じ、特許侵害の訴えを起こしたり脅迫まがいの事をしたり、あらゆる嫌がらせをしたと云われる。真偽のほどはともかくとして、ワット自身が高圧蒸気機関は危険すぎるとして真っ向から反対していたことは事実のようだ。


      初めての蒸気機関車

      業界の大御所ワットの意見を無視して高圧蒸気機関を開発したトレヴィシックの次の目標は、蒸気機関を積んで動く台車を作ることだった。そして1801年に蒸気自動車Puffing Devil号の試作に成功する。

      当時のウェールズは石炭や鉄鉱石の産地として重要な拠点となっており、その積み出しには、鉄道馬車が使用されていた。トレヴィシックの更なる夢は、馬に代わってレールの上を蒸気機関が引っ張る運搬車の開発。1804年、蒸気機関車第1号 Penydarren号が、炭坑と街を結ぶ9マイルの距離を、鉄10トンと70人を乗せた5両の車両を牽引しての走行に成功したのだ。時速はたったの8キロだったという。

      運命の男トレヴィシックの人生は実用新案を得て順風漫歩という訳には行かなかった。当時の鋳鉄製のレールでは重い蒸気機関車を支えることが出来なかったのだ。素晴らしい発明も実用性に乏しい鉄くずと看做され、間もなくして鉄道馬車が再び運搬車として取って代わるのである。

      トレヴィシックはその後も機関車造りに精を出すが、どれも実用化には至らず、1808年のCatch Me Who Can号を最後に、蒸気機関車の開発からあっさりと足を洗ってしまう。財産はほとんど底をついていた。

      いくつかの企業を転々としながらも研究者として生計を立てていたトレヴィシックのもとに、南米ペルーの銀鉱山のオーナーがやってきた。ペルーでは当時高地であるが故のエンジントラブルが多発し、これを改善するためにはトレヴィシックの高圧技術が欠かせなかったのだ。オーナーの懇願を受けて、トレヴィシックはペルーに向かう。一儲けしてすぐに帰って来ようと思っていたに違いない。だが、これが運命を変える旅になってしまうことを、自信家のトレヴィシックは想像だにしなかった。生まれたばかりの子供を残して英国を後にしたのは1816年のことである。

      皮肉な事に、トレヴィシックが蒸気機関車から足を洗って以降、鋳鉄技術が格段と改良され、これに併せて蒸気機関車の役割りが再び期待されるようになった。1825年、英国に初めての商業鉄道が開通し、米国、フランス、ドイツへと、トレヴィシックが生み出した原理を使った蒸気機関車が広まっていく。この開発を進めたのはジョージ・スティーブンソン(1781〜1848)であった。


      (次号に続く)
      | イギリス・欧州 | comments(0) | - | posted by maztoya
      名器ストローヴィオル 15:31
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        ストローヴィオルの謎
        楽器店やオーケストラでも目にする機会の無いラッパの付いたヴァイオリン。この楽器は「ストローヴィオル」という。日本ではコルネットヴァイオリンという名前で知られている。昭和時代には歌謡曲歌手の横で活躍していたが、今では一部のマニアックな演奏家によって使われる程度で、とくに若い方々は見たこともないのではないだろうか。

        ボディーに空洞はなく、弦の振動を金属のコマが拾ってそれを直接ラッパに伝えて拡声する仕組みになっている。音は小さくて地味。でもラッパ越しの蓄音機から溢れ出したような音色は哀愁を帯びていて、アルゼンチンタンゴやシャンソンの物悲しいメロディーや古いスタンダードを弾くと本領発揮。まさにレトロ感覚そのものの楽器なのである。

        30年前、ニューヨークの骨董屋で偶然出会い、思わず衝動買いするのだが、骨董屋のおやじも値打ちが判らず、ラッキーにも二束三文で入手した。その後少し修理したら音も良くなり、レコーディングやステージで、大変重宝に使わせてもらい、今や我が家の家宝として、陳列棚に国宝級の扱いで並べられている。

        妄想癖のある僕は来客の度にこの楽器を見せびらかしながら、30年間に渡って「これはマーチバンドで仲間はずれとなった弦楽器が、金管楽器と一緒に行進するために作られた楽器に違いない」などと真しやかに語ってきた。これはまったく根拠の無い話で、実は当時のレコーディングに対応するため必要に応じて開発された楽器のようだ。

        まだマイクやアンプが無い時代、音楽家たちは録音時には巨大なメガフォンがついた録音機に向かって唄ったり演奏したりしていた。そのメガフォンが周囲の音を拾い集めて、それを直接レコードに刻んでいくのだ。弦楽器のように音が拡散するとバランスが悪いので、このようにラッパを付けて一方向で音を出せる仕組みにしたという訳だ。

        楽器の刻印

        さて、僕のストローヴィオルはいつ頃作られたのだろう? 同じ楽器は世の中にどれくらい存在しているのだろうか? 家宝という位だから、どの程度の値打ちがあるものか知ってみたいと思った。

        ラッパの部分に小さな刻印があったことから、少しばかり歴史を遡ってみた。

        そこには次のように刻まれている。

        Universelle Expositoin de Paris 1900 - 1900年パリ万博
        Hors Concours − 特別参加
        Membre de Jury − 審査委員会
        Couesnon & Cie ― ケノン社+住所
        Fournisseurs du Armee – 軍への納入業者、供給者

        つまりこの楽器は、フリューゲルホルンで世界的に有名な金管楽器メーカーケノン社が作った珍しい弦楽器だ。そして文字通りに読めば、1900年のパリ万博に特別に出品されたということになる。もちろん僕の楽器はオリジナルではなく、そのコピーということになるのだが。

        ストローヴィオルは1899年、ドイツ人John Mattias Augustus Stroh氏によってロンドンで発明された。5月には特許が申請され、翌年3月24日に承認されている。つまりパリ万博開催3週間前に滑り込むようにして特許を取得したのだろう。

        その後、ジョン・ストロー氏の息子チャールズがロンドンでストローヴィオルを生産していたという記録もあるが、量産化したのはむしろフランスのケノンのほうだった。1901年のストランド・マガジンには、ストローヴィオルは「創造性と技術の結晶」と絶賛されている。ヴァイオリンの他にもラッパの付いたビオラ、チェロ、マンダリン、ギター、ウクレレなど、ストロー楽器と称して次々に生産されたが、アンプやマイクの発明によって需要がなくなり、除々に生産数が減っていったらしい。いつごろ生産を中止したのかは分らない。

        現在ストローヴィオルは、ルーマニアのトランシルバニア地方ビホル県の小さな村で職人たちが作っているという。そして同県のお祭りや結婚式などで民謡楽器として活躍しているそうだ。その場に僕も参加してみたい。

        数年前パリに行った時、刻印の住所を訪れてみたが、今はアパートに変っていて当時1000人の従業員を抱えていたというケノン社パリ工場は跡形もなかった。ならばと、パリ郊外に現存しているケノン社にストローヴィオルのことを問い合わせてみたが、1969年に大火災が発生し、当時の資料をいっさい消失してしまったとのこと。レトロな物語につきまとう悲運なのだろうか。

        同じ楽器を持っている人が世の中にどれほど居るのか、気になるところだ。
        間違いなく多くは居ないはずだ。僕も生きているうちに手放すことは無いだろう。でも1千万円と言われたら心が動く。タダ同然で手に入れたのに図々しい話だ。

        ドイツ人が英国で開発した楽器がフランスで製造され、それを日本人の僕が米国で見付けて日本に連れて行き、生まれ故郷のロンドンに、いま僕と一緒に居る。それを考えただけでも、大河ドラマのようなロマンに浸ることが出来る。


        (本稿は月刊ナイル寄稿文に加筆修正したものです)
        | 音楽・アート | comments(0) | - | posted by maztoya
        5月7日英国総選挙に思う 22:40
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          英国総選挙で保守党が圧勝し、英国のEU離脱が現実味を帯びてきた。保守党が国民投票(レフェレンダム)を公約しているためだ。移民政策に寛容でEUと共に生きようとする理想主義を掲げた労働党は大きく票を落とした一方で、地域の独立を掲げたスコットランド党は大きく躍進。

          世界地図が大きく塗り変わろうとしている。

          そもそも国という概念は普遍のものではない。伸びたり縮んだり、時代とともに変化しているのだ。西アジアやアフリカでは知らないうちに国が誕生しているし、近い将来スコットランドが国になり、いずれはウェールズや他地域にも広がる。その前にスペインはいくつかの国に分裂するだろうしEUも空中分解する。英国が数年のうちにEUと離別することは現実的な選択肢に見える。ちなみに英国ビジネスのの域内依存度は30%程度に過ぎず、いつでも見限ることができる。

          マグマが動き出せば必ず地殻変動が起きる。

          僕が学生だった頃は世界の通貨は固定相場制でペグされていた。そんな昔の話じゃない。それが変動相場制に移行して、欧州に統一通貨ユーロが誕生。欧州域内を同一通貨でつなぐという壮大な実験は時代背景としての理由があり、何よりもロマンがあったが、世界中からバブルが消え去った今、域内の強い国以外には負担ばかりが課されるようになり、広がることへの誘惑はなくなった。

          天気予報士ではないが、これから10年の世界地図を予想するなら「分裂」が加速するのではないか。ネット社会の拡大でマイノリティが社会に影響を及ぼすようになり、デモクラシーのあり方も変わるだろう。レフェレンダムという言葉がより頻繁に使われ出すに違いない。そもそも国という概念が形骸化するのだと思う。どこに住んで、税金をどの国に支払って、どの国に老後の面倒を見てもらうか程度の違いだろう。

          さて何が言いたいのか判らなくなってきたが、最近の自民党と沖縄のやり取りを(Yahooニュースで)聞きかじっただけの無責任発言だが、レフェレンダム日本第一号は沖縄独立であるに違いない。少なくともそのカードを持って、交渉を優位に進めるくらいのリーダーシップが沖縄に生まれても不思議ではない。
          | 経済・国際問題 | comments(0) | - | posted by maztoya
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