From the West to the East.〜maztoya's blog〜松任谷愛介日々彼是。

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    お知らせ 13:32
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      【スタッフよりお知らせ】

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      松任谷愛介によるコラムは下記に移動致しました。

      不定期で更新予定です。

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      ブレグジットはグローバル化への第一歩 20:21
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        日本人に優しくなった英国への入国

        5月20日から英国の入国システムが変わった。自動認証システムが導入されて、入国カードが不要となった。入国審査官による煩わしい受け答えも要らなくなった。最高に嬉しいのは、The Others の長蛇の列に並ぶ必要がなくなったことだ。英国およびEUのパスポートを持っている人々と、それ以外(The Others) のゲートは異なるものの、システム変更に伴ってThe Others の流れがすこぶるシンプルになったのだ。ひどい時には1時間近く要した審査手続きが、なんと1分で再入国できたのは驚異的なことである。


        ブレグジット後の英国が進む道

        EUから離脱すれば、これまで東欧諸国の人々にプッシュアウトされてきたアジア人やアフリカ人の英国内での雇用やイミグレーション政策が見直されるだろう。ブレグジットは英国のナショナリズム化として捉われがちだが、プラス面にも目を向ける必要がある。英国のEU離脱の核心は、EUの仲良しクラブから離れて、EU以外の国々とも差別なく取引が可能となることだとぼくは思っている。それこそ英国が長い歴史のなかで培ってきた強みであるグローバル主義に回帰することだ。アメリカ第一主義という排他主義とはそもそも考え方も進もうとしている方向性も違う。

        英国訪問中のトランプさんが昨晩「私は英国のEU離脱を応援する」と発言したようだ。この人がそうことを言うと、英国もアメリカと同じ穴のムジナみたいに見られてしまいそうで怖い。

        | イギリス・欧州 | comments(0) | - | posted by maztoya
        東北 19:03
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          駆け足の東北旅行から早1ヶ月

          これ以上ほったらかしにしては、お世話になった方々にあまりにも申し訳ない。なのに・・・伝えたいことが山ほどあるのに、なぜか文章にできない自分がいる・・・とは言い訳に過ぎない。単にグータラなだけというお粗末である。
          その朝BBCで、津波の中継映像をただただ呆然と観ていた。英国人キャスターは言葉を失い、ヘリコプターのブルブルいう音だけが無機質に流れていた。何かできることはないだろうかと模索し始め、ロンドンの音楽家たちとレクイエムを録音し、チャリティコンサートを開いた。日本でも聖路加病院や仙台の心ある方々の力を借りてコンサートを行った。集まったお金の一部を使って荒浜小学校にピアノを寄贈した。震災1年後には大鎚町(岩手県)から被災した虎舞グループに来てもらい、ロンドンの教会でオーケストラをバックに踊ってもらった。そしてその年の6月、メトロポリタンオーケストラを連れて、東北3県コンサートツアーと称して宮城、岩手、福島沿岸部を回ってコンサートツアーをした。成果はあったが、同時に関係する方々に迷惑もかけた。少々疲れた。そして、何もしなくなって5年が経った。
          ご存知の方も多いと思うが、いま沿岸部は建設ラッシュである。あらゆる場所でブルトーザーが行き交い、整地そして盛り土が行われ、その上に住宅が建ち始めたところもある。瓦礫の山は早々に片付けられ、荒地には草茂り、花が咲き、蝶が舞っている。表面的には変わった。

          しかし直後に訪れたときと何も変わっていないように感じた。

          工事が終わるまでまだ何年もかかるだろう。その後どれだけの人たちが戻り住むのだろうか。醜い防波堤ができて静かな海の景色を眺めることもできない。途切れ途切れとなった海辺の松林は美しいはずもなく、ただただ物悲しい。整地が完了したとしても懐かしい故郷の街並みは跡形もなく、綺麗なだけの新興住宅地が建ち並ぶことになるのは容易に想像できる。仮設住宅で待っている人たち、疎開して新天地で暮らしている人たち、それぞれ様々な思いがあるはずだ。復興に時間がかかり過ぎている。

          仙台郊外の荒浜小学校に立ち寄った。5年前、英国のオーケストラの仲間と訪れて以来だ。音楽の高橋陸子先生から連絡があり、建物の一般公開が始まったというので足を運んでみた。当時一年生だった子供たちも無事卒業し、荒浜小学校は名実ともに閉校となったが、震災以来使われなくなった海辺の校舎は被災した当時と同じ姿で佇んでいる。朝までかかって屋上からヘリコプターで運び出される子供たちが、救援を待ちながら見て感じた光景を思うと心が痛む。そんな子供たちも無事卒業、アルバムに元気そうに笑顔で写っていた。
          大鎚町には、痛ましい姿の庁舎が、土埃をあげて整地が進む広大な工事現場の真ん中にポツリと残っていた。多くの職員が建物のなかで犠牲になった場所である。庁舎前には慰霊碑が設置され参拝客が絶えない。供えられた花々が美しかった。壁は落ちて、窓ガラスは抜け落ちて、鉄パイプが歪み、痛々しい。これ以上思い出したくないという町民の声を受けて、庁舎建物は取り壊しされることが内定した。維持管理費用も相当額に及ぶこともあり、少なくとも町長はハンコを押したらしい。ところが最近、小学校の子供たちから町長宛に「残してほしい」という嘆願書が出たというのだ。未来ある子供たちが、将来を見据えて大鎚の街づくりを考えているという話はちょっとした感動である。ぼくのような部外者が軽はずみなことは言えないが、傷跡を将来世代に残し続けるというのは苦痛も伴うが、歴史の中で見たらとても大切なことだと思う。

          宮城・岩手・秋田の県境、くりこま高原から車で小一時間走ったところに「風の沢ミュージアム」(栗原市)がある。縁あって数年前、オーナーの杉浦節美さんと知り合い、その後ちょくちょくお邪魔するようになった。里山の中の茅葺屋根の古民家は実に居心地がよい。杉浦オーナー曰く「闇と不便」が魅力のミュージアム。来訪客もさほど多くなく、縁側で鳥のさえずりを聞きながら昼寝させてもらったこともある。最高な贅沢だ。毎年テーマを決めてアーティストの作品を展示しているが、敷地内に点在するアート鑑賞もさることながら、四季の自然に包まれて、古き良き日本を味わいながら里山を探索することがここに来ることの楽しみである。


          来年、風の沢ミュージアムで「風のオーケストラ」という企画を練っている。風が演奏家となって里山を廻る2万本のウィンドチャイムや風鈴が音楽を奏でる。東西南北、異なる風向きや強さで、音楽が変化し、里山にある鳥や虫の鳴き声、木の葉が擦れあう音と共演するというものだ。当然ながら無風のときは音がしない。それはそれでラッキー。風のない時にきた来訪者は、無音を楽しめば良い。「風のオーケストラ」は地元の伝統芸能やパフォーミングアーティストとのコラボレーションも面白いと思う。2万本のウィンドチャイムが放つ風の声を、地域の人々のみならず、沿岸部の人たちにも自然を愛でながら聴いてもらえたらどんなに素晴らしいだろう。日本全国、いや海外からも多くの来客を得て、栗原市の地域創生にも役に立てれば。そんな理想を掲げながらも、最近、肝心なコンセプトのところで立ち止まってしまい、足踏み状態が続いている。今回の東北旅行で何かを発見できる予感があった。

          さて風の沢ミュージアムに話を戻そう。杉浦オーナーは、私費を投じて風の沢に本来あるべき里山を蘇らせた。土木工事をやり直して萱を拭くのに5年の歳月を要したという。人間の営みと自然の関わりを感じるだけでなく、ここに来たらスタッフに風の沢開拓の歴史や苦労話を聞いてほしい。英国ナショナルトラストのような組織のサポートなしに、個人の情熱だけで作り上げてしまう。なかなか出来ることではない。多くの人たちに訪れて感じてもらいたいものだ。

          栗駒山の秋田県側にあう湯治場、小安峡温泉。ここに「お宿・山の抄」という温泉宿がある。実はここも杉浦さんのものだ。数年前、地の利の悪さゆえに立ち行かなくなった鄙びた温泉宿があるという話を聞き、間髪入れずに買い取ったのだそうだ。自ら陣頭指揮しての大改装工事を行い、センスの良い旅館となって生まれ変わった。杉浦さんにとって、忘れかけた文化を残し伝えるという意味で、古民家ミュージアムも古い温泉旅館もまったく同じことだ。毎日が新鮮だという。初めての接客商売。掃除や仕込み、冬には雪下ろしという大作業がある。地域に溶け込むことにも気を遣っている。

          スタッフの温かいおもてなしを受け、気持ち良い温泉に浸かり、山菜づくしの夕食。とって付けたような刺身や肉など出てこない。この時期に、ここでしか食せない採りたての山菜が味付けを変えて次々に登場し、すこぶる美味しくいただいた。有難かった。
          釜石に戻り、友人で音楽家のマサやん(大久保正人)に会った。東北3県コンサート以来だ。ギタリストだが、コンサートでは尺八を吹き、いまは琵琶にはまっているという。大鎚の実家が流されてからは釜石に移り、淡々と被災地の声を音楽にする作業に励んでいる。息子の愉伊君も、被災地をテーマとしたドキュメンタリー映像を世界に伝える活動を続けているそうだ。応援したくなった。

          風つながりである。マサやんの紹介で、大鎚町の佐々木格(いたる)さん宅を訪問した。海を見渡す高台の、綺麗に手入れされた佐々木さんのイングリッシュガーデンの片隅には、電話ボックスが置かれている。ダイヤル式の電話には線が通じていない。戻ってこない人と心の会話ができるようにと、ご自宅の庭を開放して設置したものだ。震災以来、毎日、人がやってきて、そっと受話器を握りしめて、何かを話し、そして帰っていく。「風の電話」と呼ばれるようになった。NHKドキュメンタリーを通じて有名になってしまい、いまでは被災地以外の地域からも来訪客があるという。

          風の沢ミュージアムで展示する「風のオーケストラ」を、ここでも演奏できないだろうかという下心があった。しかし佐々木さんにお目にかかり話しをしてみて、考えが変わった。電話線が要らないように、風は空気になって、感じたり伝えたり、或いは聴いたりするもの。あとから取って付けたようなアーティフィシャルなモニュメントは、佐々木さんの庭には必要ないだろう。だとすると、企画中の「風のオーケストラ」とは何なのだろうか。
          さてこの長大ブログを読み返してみて、以前に書いた風のオーケストラの企画素案がいかに弱いものだったか思い知った。明らかに力が入りすぎている。自信がないとますます力んでしまう。全面的に書き直しだ。もっと自然体になれるまで待とう。本当に必要なプロジェクトならば、機は熟し、風が吹いてくれるはずだ。

          この旅で出会った東北の人々。無欲であることが感動を呼び、結果的に価値あるものを創る。肝に銘じて次のプロジェクトに励みたい。

          | ノスタルジー | comments(0) | - | posted by maztoya
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